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INDEX

  1. 横目流し目 ホントっすか !?
  2. 清水哲男のサンクチュアリ 浜の
  3. 揺れて歩く人々の問い Vol.77
  4. しみてつコラム「トシユキくんの家」
  5. ご購入のご案内

〈Prof. 田川の揺れる音楽道〉はお休みいたします
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横目流し目 ホントっすか !?

志賀原発の原子炉建屋など
能登半島を輪島まで行ってきました。懐かしい友人の生家を訪ねるためです。車で金沢を経由してのと里山海道を羽咋柳田まで、そこからは国道249号で海岸線を志賀町まで北上します。志賀町からは県道36号をさらに海岸沿いに。それまでも瓦が落ちてブルーシートをかけた建物はたくさん見ました。しかし、志賀町に入ってからはその数は一段と増え、破損の程度もひどくなっていくように思えました。加えて小浦、百裏という集落を過ぎてからは道路の亀裂も目立つようになりました。その先に北陸電力志賀原子力発電所はあります。
原発に近づくにつれて、道路の亀裂、陥没は激しくなる一方でこれからの修復工事のためでしょうか赤くマーキングされていました。北陸電力は公式に
〈「令和6年能登半島地震」により、志賀原子力発電所では一部設備に被害が発生しましたが、外部電源や冷却設備等の重要機能は維持しており、原子炉施設の安全確保に問題は生じておりません。〉
とアナウンスしています。1月1日の震度7、その後くりかえされる余震、6月3日には最大震度5強が観測されています。にも関わらず、少々の部品の脱落やオイル漏れ、使用済み燃料貯蔵プールの水があふれた程度で安全だというのです。
発電所の敷地をぐるっと1周回ってみました。周辺道路にはひと目見て地震の結果だと思わせる亀裂、陥没がいたるところにありました。
原発敷地の東側
原発敷地の西側。県道36号
道路の補修は進んでいるが歩道はまだまだだ
志賀原子力発電所の分厚い壁の前に立ちました。壁に遮られて建物の頭だけしか見えません。不審者に見えたのでしょう。警備の車が何度も行き来して、壁の上の監視カメラが僕の方を向いています。
〈原子炉施設の安全確保に問題は生じておりません。〉
ホントっすか!? 僕は思いました。ほんとうにほんとうに重大な被害はないのか、安全なのかと。「安全だって言ってるんだから、安全なんでしょうよ」そんなことを言う人がいました。この国の多くの人がそう思っているのでしょう。僕のように疑り深い人間が多くいたら状況はまた変わっていたかもしれません。安全だという言葉を、消極的にでも受け入れる人たちが多くいる。その上に立って電力会社と行政は「原発の安全神話」をつくり上げているのではないでしょうか。世界一厳しい基準をクリアしているんだからニッポンの原発は安全だと。
僕はそんな砂上の楼閣のような安全神話づくりに加担したくない。これからもずっと「ホントっすか!?」と言い続けたい。志賀原発周辺の風景を見て、その分厚い壁の前に立って、僕はそう思いました。

清水哲男のサンクチュアリ

浜の@木倉町,金沢市


金沢に着いたのは夜の9時だった。日曜日の夜だ、鹿児島のことを思うととても不安になった。鹿児島って観光立県をうたいながら日曜日を店休日にする店がとにかく多いんだもの。木倉町という飲食街をぶらついた。めざすはもちろん地元のうまい肴と地元の酒だ。ガイドにもなににも頼らない、ただ酒飲みの嗅覚と勘だけ武器に。
ここならいいだろうと飛び込んだのが味処浜のという店。店頭にかけられた赤提灯に「能登 金沢 たこの散歩道」と大書されていた。これだけで能登・金沢のたこ料理、地魚料理が売りなんだなと想像がつく。
ガラッと引き戸を開けると目の前に長いカウンターが。その中で少々いかつい大将らしき男性と、女性2人が立ち働いていた。聞くと10時閉店だという。それでもかまわないならいいよと。小1時間か……。まあ飲むには十分だな。さっさと飲んで引き上げようということで、カウンターについた。
この日は金沢に詳しい同行者がいた。僕はすべてを委ねてただ飲み、食べるに徹する。てきぱきと注文された金時草、もみいか、能登もずく、ガスエビの唐揚げを待つ間に酒を選ぶ。ここでしか飲めない酒をと大将に乞うと「それなら加能山河がいいよ。うちのは普通に流通しない店だけで飲めるやつだからね」と。さらっとした辛口のうまい酒だ。

能登もずくは飲み物だな。口に含むと甘酸っぱい海の香りがひろがる。能登の海の香りだ。

金時草のおひたしははじめての食感だった。葉っぱの表は緑色、裏は紫。だけど湯がくと全体が紫色になる。モロヘイヤのような粘りがあり、身体にもよさそうなものもいっぱい含んでいると。

もみいかは小ぶりのイカを内臓も一緒に干したものだ。深い味だった。塩っぱさも、苦味も、甘みもある。そこへ辛口の酒を。

僕にとどめを刺したのはガスエビの唐揚げだった。小指ほどのエビをカラッと唐揚げに。塩気と香ばしさで酒がすすむことすすむこと。こうなると10時までにどれほど飲めるか焦る気分も手伝って、どんどん杯を重ねる。まあ、いつものことだが……。
客が僕らだけになって、少々手が空いた大将浜野富雄さんといろいろ話をした。大将は能登七尾の出身だった。背後の食器棚には〈SUTANDUP Fight! 能登〉というステッカーが張りめぐらされていた。大将は高校卒業と同時に能登を出て金沢、東京、大阪と修業を積み金沢に戻り浜のを開店した。38年前のことだ。20代の終わりだったそうだ。まわりからは無謀だとか、まだ早いとかいろんなことを言われた。たしかに苦労は多かった。だけど苦労を重ねてここまできた。ひとつひとつの料理はそんなことを感じさせる味だった。苦労話が肴になる。いつの間にかカウンターを越えて酒を酌み交わす。
そこに女将和子さんが加わる。底抜けに明るい人柄は多くの酔客の心を鷲掴みにしてきたに違いない。あっと言う間に閉店時間を過ぎたが、腰を上げかけると「まだいいよ。ゆっくりして」と言う。それじゃあと、こちらも腰を据えなおす。さらにもうひとりの女性あけみさんも加わる。ちょっとした宴会状態になった。うまい料理があって、いい酒があって、楽しい人がいる。宴会状態になるのもやむを得ない話だ。結局店を出たのは11時を回っていた。

「たこの散歩道って?」
「うちの名物はたこ料理なんだ。うまいよ」
「じゃあそれはまた今度にとっとこうか」
ということで金沢に来たら必ず寄らなければならない店が増えた。
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揺れて歩く人々の問い vol.77

鹿児島は面白い?あなたの住んでいるまちは面白い?


鹿児島は面白い?
あなたの住んでいるまちは面白い?
鹿児島にお住みの皆さんにおたずねです。あなたにとって鹿児島は面白いですか? 楽しいですか?面白いとすればどんなところが? あるいはどんなところが楽しいですか? 
鹿児島以外にお住みの皆さん、あなたの住んでいるまちは面白いですか? 楽しいですか?
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M.Fさん
鹿児島県民じゃありませんが、鹿児島面白かったです。って言うても私の行った鹿児島はほとんど天文館ですけど…。種子島は面白いと言うか丁寧に生きてるんだろな…、といろんなところで感じられました。
私の住む京都は、今外歩いてる七割はよその国の方々で面白い場所ではなくなっているかもしれませんが、京のイケズみたいなの腹の探り合いしながら楽しんで暮らしていますよ〜
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M.Tさん
東京文京区ですが、楽しいですよ。大きい寿司チェーンや中華チェーン、鰻チェーンがないのが残念ですが。それと海がないのが残念ですが。ーーーーアレッ、楽しいことを書こうと思っていたのにね。
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今回も楽しいコメントを寄せていただきました。ありがとうございます。詳しくはこちらをどうぞ。
https://www.facebook.com/groups/1651099238372682/posts/2904345479714712
次回78回目の問いかけは6月14日の「揺れて歩く&妄想ラジオ」配信中におしらせします。
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しみてつコラム
トシユキくんの家


能登半島の西海岸を北上する国道249号は志賀町増穂浦を過ぎるとしばらく山の中を走る。道路は至る所で陥没や法面の崖崩れ、亀裂どころではない地割れのような破損個所の工事で片側通行が点在する道だ。ようやく海岸線に戻るとそこはすでに輪島市門前町だ。
波は穏やかだが、異様な風景の海岸線が続く。海岸がコンクリートで固められたように白いのだ。あとで聞いた話だが、それは1月1日の地震で隆起しそれまで海底だったところだ。隆起は北に行くほど激しくなり最大で4mを観測したと言う。あの地震がとてつもないエネルギーを持っていたことを物語る。
気持ちがざわざわ騒いでくるのがわかる。僕は輪島市門前町道下にある大学の同級生トシユキくんの家を45年ぶりに訪ねようとしていた。大学に通っていた頃、夏休みになると必ず遊びに行った。そこでひと夏の大半をぼうっと過ごすのだ。親父さんもおふくろさんも、そしておばあさんも歓迎するでもなく拒絶するでもなく、自然に受け入れてくれた。僕はトシユキくんとまるで兄弟のように、魚釣りに行ったり貝を拾いに行ったり、畑仕事を手伝ったり地域の祭りで太鼓をたたかせてもらったり、愉快な夏を過ごしていた。
社会に出てからはトシユキくんとの付き合いは続いたが、門前町の家を訪ねることはなくなった。おばあさんが亡くなり、親父さんが亡くなり、その家は高齢のおふくろさんがひとりで暮らす家になった。彼と京都で会った時「お母さんはさみしいだろうね」と言うと「そうやな。心配なもんでぇしょっちゅう帰ってる」と笑っていた。トシユキくんは住まいのある加賀市から門前町を頻繁に行き来していた。
1月1日もおふくろさんとふたりで正月を祝うんだと彼は門前町の家にいた。そしてあの地震に遭遇した。直後に通じた電話でトシユキくんはその時の様子を生々しく語った。
「おふくろをおぶって家の外へ飛び出した。うちは大丈夫やったけど、隣の家は瞬く間に崩れ落ちた。東京から冬休みで帰っていた孫娘ふたりが閉じ込められて……」そこまで言って彼は声を詰まらせた。「……結局ふたりとも亡くなった」
トシユキくんの家は去年5月の地震で損傷が激しく新しく建て直したばかりだった。おかげで崩れ落ちることはなかったがあちこち損傷が激しく、やはり住むには耐えられないなと言った。
「住めても住みたくないよな。あれだけの揺れ、おふくろも俺もふとしたときにフラッシュバックするんや。怖い」
おふくろさんは敦賀に住むトシユキくんのお姉さんの家に移った。90歳を過ぎてからの引っ越しはきつかったと思う。門前町の家は?と問うと、
「解体することにした。おふくろの思い出も俺の思い出もいっぱい詰まってるけどな、仕方ないな……」
と小さな声で答えた。
解体工事が終わったことはトシユキくんから聞かされていた。その場に行ってみようと思った。そこに行ってもあの懐かしい家があるわけでも誰に会うわけでもない。でもそこを訪ねてみたかったんだ。そこは僕の思い出の詰まった場所でもあったから。
門前町道下に近ずくと道路沿いの風景は極端に変わった。崩れ落ちた家々が半年近く経とうというのに放置されたままだ。電信柱も倒れそうに傾いている。恐ろしい風景だと思った。次の交差点をすぎるとすぐトシユキくんの家のある路地だ。車を降りて路地に入って行きたかったが、できなかった。そこに行っても何もないことはわかっている。思い出を奪い取られたような気がして、しばらくそこを動けなかった。

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最後までおつきあいありがとうございました。
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