出身の大阪では、「自分」のことを1人称としてだけでなく、2人称としても使う。
これは、あなたがいるからこそ、私を認識できるということの象徴かもしれない。
そうすると、「自分らしさ」とか、「自立」というのも、実は、周りを前提にしていると捉えることもできる。自分の足だけで立つのが「自立」ではない。頼るというのも「自立」のうちだ。
「揺れて歩く」という言葉からは、1人称と2人称のはざまを行きながら、それでも一歩ずつ前に進んでいく意思の強さを感じる。
(いのうえ たかし 内閣府(前長島町副町長))
清水哲男:井上貴至さん
この国の将来を託したい。井上さんに会って話した時、はっきりそう思った。
公務員という人種に特段に悪い印象を持ってはいないが、夢や将来を面白く楽しく語り合えるような人々ではないと思っていた。
だが彼はぼくの公務員像を見事に壊してくれた。実直さと熱心さと明快さと子ども心。
見え隠れする彼の様々な側面は、魅力的で力強くて、周囲を楽しくさせその上に期待と希望を感じさせてくれる。
ぼくはこの人に期待してやまない。写真は地元サッカーチームを応援した帰りに、ぼくの写真展をのぞいてくれた時の井上さん。