こんにちは 、揺れて歩くニュース清水哲男です。遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。って、小正月も過ぎとるやないけえと笑ってる方も多いかと思いますが、今年もどうかよろしくお願いいたします。
〈揺れて歩く〉はもちろんですが、今年は新しいテーマのもとさらに活動の幅をひろげてまいります。新しいテーマのもとでの最初の写真展は今年5 月を目指しています。オミクロン株の感染拡大も予断を許さない状況で先行き不透明ですが準備だけは進めていきたいと思います。今回はショートバージョンでお届けします。
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Prof. 田川文彦の揺れる音楽道
「my body」
「揺れて歩く」 Soundtrack より https://soundcloud.com/yurete_aruku
「my body」私はいくつまで生きるんやろ …… 。カラダというのはほんまに不思議やね。
https://soundcloud.com/yurete_aruku/myaku-my-body
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しみてつコラム「人生は長い」
父と母が2人で祝った最後の結婚記念日は2014年12月25日だった。
それは確か60回目の記念日。60回目をダイアモンド婚というらしい。僕自身は結婚してたった6年で家を出たから、その10倍以上の時間を2人で過ごしたことになる。
その時の会話を覚えている。
「すごく⻑い時間やね」と僕。
「いや、ずっと一緒にいたわけやないがな」と父。
「うちは忍耐の連続やったわ」と母。
「忍耐の連続」と言う母の苦労を僕は知っている。
この時はまだ、父の命を蝕みつつあった癌は見つかっていなかった。
「いろいろあったと思うけど、今は幸せか?」と僕。
「それはおかあちゃんに聞いてくれ」と父。
母は笑いながら答えた。
「人生は⻑いということやがな」と。そうしてこう続けたんだ。「おかげさんやな。こんな日をふたりで迎えられるとは思わんかった。ありがとうね」
それから7年が過ぎた。去年のクリスマスは67回目の結婚記念日だったが、母は61回目からをひとりで祝ってきた。
「ダイアモンド婚の次はなんやろねえ」母がつぶやく。
「75回目はプラチナ婚らしい」僕が答えた。
「あと8年か …… 。うちも頑張らなね」小さく声を上げて笑う母。
あと8年で母は106歳になる。決して不可能なことだとは思わない。
「けど」母が言う。
「けど、なに?」僕は母の顔をのぞき込んだ。「おとうちゃん、お前、いつまで待たせるんやって機嫌悪くなるやろね」
苦労ばっかりしてきたのに、夫婦とは不思議なものだと思った。
「人生は⻑いけど、ひとりになってからの方が、ふたりでいた時よりうんと⻑い
わ」
そう言う母に笑顔はなかった。
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