オリンピック、終わったそうですね。知人の話だとずいぶん盛り上がったということでした。なんでもメダル獲得数は過去最高だったとか。お世辞のつもりで「そうか。よかったね」と言いかけて「ん?」と思ってしまいました。いったい誰のために、なんのためによかったんだろうと。「国にとって」と言うなら、オリンピックはどれほど素晴らしいモノをこの国にもたらしてくれたのでしょう。そう思うと、オリンピックって、なんのためにやるのだろうということ自体がわからなくなってしまいます。こんなことを言うと「あなたは個々の選手の頑張りを認めないのか!?」などと言われそうです。じゃあ、逆に聞きますが、オリンピックは選手のためにやるのでしょうか? 選手はなんのために頑張るのでしょう? よくわからないし、この時期ほかにもっと大切にしなければならないことがあるんじゃないかと思います。ある知人が言いました。「感動できたし、コロナで疲れた気持ちを明るくしてくれたし、OKだよ」と。感動とか、感銘とか、元気のために、そのために巨額の経費をかけて、やったということか……。天文学的数値の財政赤字を抱えた国がやるべきことではないし、新たな負担を一人ひとりの国民に求めないでほしいなと思います。
誰か、そんなことを猫にもわかるように説明してくれませんか。
では今号も最後までお付き合いください。
INDEX
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揺れて歩く人々の問い Vol.25
テーマ:これはという、とてつもない忘れ物はありますか?
忘れ物はなんですか~🎶 見つけにくいものですか~🎶
はい、前回の配信時にこの#25回目の問いを発表するの忘れてました。スミマセン。ほんとに最近物忘れがひどくて……。歳のせいかななどと思ってみたり、生来の落ち着きのなさのせいかと思ってみたりで、少々落ち込んでおります。ナンチャッテ f^ ^;
ということで、今回の問いは「これはという、とてつもない忘れ物はありますか?」
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今回もいろんなコメントをいただきました。
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「レンタカーの鍵を車内に忘れてドアロック」
もう30年以上前ですが、北海道の襟裳岬に行き
駐車場での出来事。・・・(西之表市I.Mさん)
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忘れていた事を思い出した時点で「忘れ物」が成立しますよね。
自分が一番怖いのは、約束した事を明らかにダメなタイミングで思い出す瞬間です・・・(鹿児島市M.Yさん)
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忘れ物とはちょっと違いますが失敗したおはなしを
二歳から習ってきたピアノの発表会
四国まで演奏旅行に出掛けた先で弾いたのは『赤い靴』・・・(京都市Mさん)
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酉年なので三歩あるくと忘れるから、何忘れてるかわからーん。(F.Tさん)
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詳しくはこちらからどうぞ。https://www.facebook.com/photo?fbid=2052171874922044&set=gm.2107320352750566
コメントもぜひお寄せください。
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しみてつコラム「ご機嫌な人生」
はじめて彼に会ったのは、もう30年以上も前のことだ。その頃彼は、僕が本を何冊か出していた出版社で宿直のアルバイトをしていた。担当編集者から面白い学生がいると紹介されたのだ。なんでも大学の探検部に属していて、アフリカに行く資金を貯めるためにアルバイトをしているという話だった。
その後彼は目標通り探検部の仲間たちとニジェールの砂漠地帯で、現地の人々にまみれながらテント生活を送った。そのビデオをテレビ局に持ち込んで番組を製作し書籍にもした。「アフリカはいつもハッピー」と題されたその本は若さがみなぎるとても面白い本だった。そんな経験を活かして新聞社に就職し、外信部でバリバリ働きたいと目を輝かせて話していたことを記憶している。しばらくして僕が鹿児島に移り、彼との往き来も途絶え、多分もう会うこともないだろうなと思っていた。
ところがその数年後、鹿児島市内の路上でばったり出くわした。希望通り新聞に就職した彼の初任地が鹿児島支局だったのだ。ちょうど僕が鹿児島で難病患者の青年を取材し、執筆に取り掛かろうとしている頃だった。偶然の再会をたがいに喜び、ふたたび行き来をはじめた。
「最初っから思い通りにはなかなか……。でも必ず外信部にいきますから」
そんな思いを抱え、彼は鹿児島中を飛び回っていた。
僕は件の本の執筆に追われ、どうしているかなと思いつつも連絡することもできないままだった。
2003年だっただろうか、ある日彼からハガキが届いた。東京本社勤務になった知らせだった。希望通り外信部に配属されたと。うれしくなって電話をかけた。翌2004年にはヨハネスブルクに赴任することになったということだった。
「ここまで来るのにずいぶん時間がかかりました。でもまだ入り口に立ったばかりですから」
電話の声には毅然とした覚悟のような響きがあった。
赴任後の彼からは、何度か手紙をもらった。支局はヨハネスブルクにあるが、赤道以南のアフリカ全体が守備範囲だ。銃で武装したガードマンに守られて移動している。危険も多いけれど、アフリカは開放感に満ちている。アフリカは本当にハッピーだった。そんな内容が綴られていた。僕は漠然とした羨望を抱くばかりだった。何年か後日本に戻り、政治部に移り、あるいはワシントンD.Cに赴任しと、ジャーナリストとして活躍する彼をただただ遠くで眺めているだけだった。
彼の活躍がひろがるに連れ、こちらから連絡するのもなんだか憚られ、行き来は途絶えた。その後の彼は有名なシンクタンクに研究者として招かれ、メディアの世界でしか会えない人になってしまった。そして中東・アフリカ問題の第一人者と目されるようになった。うれしいことだったが、なんとなくさみしくもあった。手の届かない人になっちゃったな、と。
そんなことを思ったのは、かれの新著紹介を新聞で見かけたからだ。中東・アフリカ問題ではなくメディアリテラシーを論じた内容だった。すごいな、活動の分野をどんどんひろげている。
違うな、と思った。彼が手の届かないところに行ったのではないな。彼は自分がなすべきことを淡々とやったに過ぎない。出版社の宿直室で未来を熱く語っていた彼は、そのまま未来を目指して日々を重ねてきたのだ。
ふとながやんのことを思った。彼も日置市長からキャリアをスタートし、将来はひょっとするとこの国を担う人になるかもしれないな。そうなると僕なんか口もきけなくなってしまいそうだなと。
結局僕がパッとしないだけなんだ。
勘違いしないでね。今の僕がパッとしないのはもちろんだけど、こんなことを思いうだうだしてる僕がパッとしないという意味だ。今までやり続けてきたことを、とことん続ける。人の目を気にせず、人の評価に振り回されず、僕がやるべきことをやり続ける。それでいいじゃないか。
そう思うと僕のンだってご機嫌な人生じゃん。
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