こんにちは。揺れて歩くニュース、清水哲男です。最近「❓」と思っていることがあります。ON・OFFの使い方です。ネットで繋がることをON、顔を合わせることをOFFって言うでしょ。ほら、オンライン飲み会とオフ会ね。でもね、新型コロナウィルスのせいで、会えなかった人にようやく会えて、これって絶対にONだって思ったんです。逆にネットのオンライン飲み会なんて、見えてないことが多くって、全くのOFFだと思ってしまったんです。人にあったほうがスイッチ入ると思いません❓ ね、ON・OFFって逆じゃね❓
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自分にとって「お土産」とは何か〈今日の問いかけ〉
永山) 去年までは年間100日くらい出張してきて、手土産を持っていくことはあるんですが、なんか最近お土産を買わなくなってきたんですよね。
清水) 実は俺もお土産というものはあまり買わない。
永山) お土産っていう文化が自分の中で損なわれてしまったなぁと寂しく感じてます。もしかしたら人生を豊かにするお土産の文化があるんじゃないかと思ってます。
清水) そうだね。お土産ってなんだろうね。
【揺れて歩くラジオ2020年10月9日放送回より】
https://www.facebook.com/347590299226175/videos/928917537636710/
➪そこで皆さんに質問です。
ご自身にとって「お土産」とは何ですか?
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真っ先に父が買ってきたお土産を思い浮かべました。父は土日もなく働く人だったので行事とかにも出ない人でした。そんな父は出張に行くと必ずキーホルダーをお土産に買ってきたのでものすごい量のキーホルダーが家にありました。お土産としてのキーホルダーは父からもらう時は私のことを忘れてないんだなと思えるお土産でした。(S.Nさん)
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昭和の世代、いとこの兄ちゃんの部屋には観光地や山のペナントが誇らしげにたくさん貼ってありました。あの頃の旅の思い出としてのお土産の定番でしたね。日付とイニシャルを刻印できる記念メダル販売機もあったなぁ。(M.Yさん)
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子供の頃児童クラブに通ってたんですけど、そこに通ってる子が旅行先から買ってきたお土産のクッキーとかを1枚もらった時にはその場で食べずに必ず家に持って帰って母と妹と三等分にしてお土産を共有してました。お土産は家族で共有というイメージですね。(Y.Kさん)
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最近人に身を委ねるということをしなくなってきたね。例えばお土産のやり取りではもらった側が講釈を垂れるわけだ。身を委ねるってのは「この人がこうしてお土産をくれた。嬉しいな」ということ。そうなってきた背景にはお土産がその土地のもので手作りで作られてないケースが増えてきたこととかもあると思う。(T.Sさん)
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京都にはお土産と言うよりは手土産に近いですが『おもたせ』と言う風習があり、皆が知らないけどスゴく美味しい物やお気に入りの逸品…その様な『おもたせ』を渡します。貴方を思って選びましたって気持ちを伝える『おもたせ』と駅で買った八ツ橋や『茶の菓』等のお土産の違いは送る相手の喜ぶ顔を想像できるところにあるように思います。(M.Fさん)
この続きは〈揺れて歩く人々の対話テーブル〉からどうぞ。
https://www.facebook.com/groups/1651099238372682/permalink/1872602156222388
不定期連載「名山新聞物語」 ゆっきー
こんにちは。名山新聞編集長のゆっきーです。鹿児島市名山町内で9月に創刊した月刊300部の超ローカル紙です。不定期連載「名山新聞物語」では、名山や新聞発行の近況をお知らせしようと思います。よろしくお願いします。
さて、第2号目にあたる10月号を発行したばかりの今日は、名山新聞作りを通してうれしかったことを2つ書きます。
①まちの重鎮たちがうなづいた
創刊に先立ち、公民館に通り会長、町内会長、青年会長、あいご会長たちを呼んで「名山で新聞を出したい」とお話しました。印刷代を試算し、どう捻出しようかも悩んでいる、と話しました。正直、どきどきでした。でも、すぐに、70代の重鎮たちは「名山を盛り上げてくれる活動、応援します」「印刷代くらい心配するな」と言ってくれました。手元には手書きの創刊号素案があるだけで、まだ何もできていないのに・・・応援してもらえることがうれしくて、涙が出そうでした。
②子どもたちが「これ、ずっとやりたい」と言ってくれた
名山新聞はまちの子どもたちも記者になって、月1ペースで取材しています。最近の子どもって、スマホとか習い事とか、娯楽も勉強も充実してて忙しいイメージ。「まちの人を取材するって面白いだろうか?楽しんで参加してくれるだろうか?」とちょっと不安でした。でも、取材時の子どもたちの生き生きした姿、その日の活動が終わると「次はいつ?」と聞いてくるところ、小学校3年生の子が「これ、6年生になるまでやっていい?」と言ってくれたこと(「中学生になっても高校生になってもやっていいのよ」と答えました)・・・。これまた、うれしくて、涙がでそうでした。
以上、一方的なプチ幸せのお裾分けでした。
名山新聞は購読という形をとっておりませんが、名山に来れば、どこそこの店に、貼ってあると思います。Twitter「名山まちあるき隊」でも活動を発信しています。
今後とも末永く、よろしくお願いします。
しみてつコラム「心のはなし」
桐箱をつくり継ぐ子もなきを幸せと光る刃先を灯に翳す夫
母が詠んだ歌だ。指物師としての廃業を決め道具を仕舞う日の父の姿。6代続いた家業を自分の代で廃業した。胸の内を慮ると、7代目を継がなかった僕としてはなんとも言えない思いが込み上げる。しかし父は跡継ぎがいないことを幸せだと言ったというのだ。「この商売は先行きが暗い。跡継ぎがいたとしてもいずれ廃業や」と。誰かが跡を継いだって需要が先細る。伝統だなんだと言っても、社会から必要とされなくなるはずだというのだ。苦悩を受け継ぐことになると。
今、伝統としての手技を受け継ぐこと、守り伝えることの大切さがささやかれる一方で、経済という尺度はそういったものの存在を脅かす。指物師としての家業も、指物師としては成り立つが、家業としては成り立たなくなった。だから当然のように、父は廃業を受け入れたのだ。そうやって廃業を、手技の断絶を受け入れる職人は多いはずだ。そこで受け継がれるのは苦悩と失望と後悔だけなのかもしれない。実は僕も満身にそういう思いを、父の思いを受け継いでいるのだ。
そうして、なんとか父の思いを受け継ぐ仕事がしたいと思うようになった。消えゆく職人の姿、手技を記録に残し、次の世代に伝えることが、7代目を継がなかった僕の仕事だと思ったのだ。でもそれは生き残るにふさわしい家系、家柄、各式に裏打ちされた職人、手技、作品だけではなく、残したい、残さなければ、でも残せないという切実な心のはなしを含めてだ。
それができた時、僕は父が受け継いできた職人の心を受け継ぐことができるのではないかと思う。
「お前にそういう心がわかるか?」今も父にそう問い続けられているようだ。
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