ぼくの新著「揺れて歩く ある夫婦の166日」の出版に、クラウドファウンディングを通じてあるいはそれ以外の方法で、多くの皆様から目標額を上回るご支援を頂戴いたしました。これほどまでに感激したことは、これまでの人生のどこを探しても見つかりません。ほんとうにありがとうございました。と同時に、皆様からのご期待とご信頼に真っ正面からお応えする本づくりをしなければと、身の引き締まる思いでおります。

ご支援いただいた皆様へぼくはこれまで、多くのドキュメンタリーを書いてきました。そのほとんどが決してセンセーショナルなテーマを扱ったものではなく、難病や障害、あるいはなんらかの逆境に向き合いながら直向きに生きる人々、あるいは市井に生きる無名の人々を主人公にしたものでした。そういった個人と徹底的に向き合うことで、社会に潜む問題や人が生きることの意味を普遍化しようとしてきました。

ところが今回の「揺れて歩く」は、ぼくの両親とぼく自身を主人公にしたもので、この中にぼくは人が生きて死ぬことのありのままを描きたいと思いましたが、ある疑問と不安が拭いきれませんでした。半ば〈「私」ドキュメンタリー〉とも言うべき作品で、普遍化が可能なのか。個人的な嘆きの羅列になるのではないか、と。考えながら、悩みながら手を加え、初稿を書き上げてから5年という時間が流れてしまいました。

その時間の間に、出版を取り巻く環境、特に流通は激変し、ぼくのような無名の書き手が本を出し続けることがとても難しい状況になりました。一時は「揺れて歩く」を電子出版でと準備にかかりましたが、写真展として「揺れて歩く」を携えあちこちを巡回する中で、ぜひ紙の書籍でという声をたくさん頂戴いたしました。問題は、出したいという書き手、出したいという出版社がいても、出せない状況をどう乗り越えるかでした。

そのことを天文館総合研究所の永山由高さんに相談したのが去年の夏の終わりのことでした。原稿に目を通した永山さんは、「クラウドファウンディングを利用しましょう!」と返答をくれました。「お金を集めるだけではなく、清水さんの懸念である普遍性を訴えて、みなさんがどう反応するかを見極めるためにも」と。さらには「既存のクラウドファウンディングのプラットホームを使うのではなく、すべてを自前で手づくりでやりましょうよ。お金集めとしてではなく、世の中に必要な情報をちゃんと伝えるモデルを構築するための取り組みとしても意味があると思います」と。

一方でぼくの不安は募りました。ぼくの個人的な事情が、たくさんの人の力を借りた大きな取り組みとして成立するだろうか。目標が達成できなかったら、ぼくの書いたものへの期待など、社会のどこにも存在しないのではないだろうかと。

しかしそれも今となっては取り越し苦労でした。永山さんを中心に様々なイベントを開催していただきみなさんと話し議論したり、あるいはラジオ番組などへ招いていただいて様々にお話しさせていただいたりを続けるうちに、この作品が自分でも意識が及ばなかった社会に潜む問題を洗い出したり、問いかけたりしていることが浮き彫りになってきました。

たとえば、いま大きな問題になっている地域コミュニティの崩壊は、コミュニティの最小単位である家族、夫婦といった関係が喪失されることの連続で成り立っているのだと。一個人の終末は家族の終焉のはじまりであり、地域の終焉のはじまりではないかと。だとすると一個人の終末をきちんと看取ることに、地域コミュニティの崩壊、終焉をどう受け止めるかのヒントが隠されているとしたら、
〈ひょっとしたらこの作品は、社会に出す意味、価値があるかもしれない〉
そんなふうに思えました。そうして結果を恐れずに、前へ進もうと思ったのです。そうしてこれだけのご支援をいただくことができました。

目下出版を引き受けていただいたエディション・エフさんとも緊密に話し合いを重ね、上梓を目指して作業を進めております。また、ご支援をいただく過程でできた皆様方とのネットワークをどのように活かしていくか、次のステップとしてどのような取り組みを進めていくかなどを、応援団事務局を中心にして議論しています。今後この議論には皆様にも加わっていただこうと、進め方の検討にも入っております。あわせて、この出版モデルを、ぼくの後に続く若い書き手の出版に活かせないか、良心的な書き手・出版社の支援に活かせないかを考えてまいりたいと思います。

最後になりましたが、応援団事務局長としてすべてに采配を振るってくれた永山由高さん、ネット上に自前のシステムを構築してくれた山田正博さん、何度も繰り返しラジオ番組に招いていただいた七枝大典さん、お三方の協力、助言がなければ、ぼくには何もすることができませんでした。ほんとうにありがとう!

ご支援を頂戴いたしました皆様、ほんとうにありがとうございました。

これからがほんとうのはじまりだと肝に銘じ、前に進みます。

2020年3月1日 清水哲男