INDEX

  1. 横目流し目 経営よりも安全を
  2. Prof. 田川の揺れる音楽道 Under the blue sky:The Noto Peninsula Earthquake ,January 1, 2024
  3. 清水哲男のサンクチュアリ 篠田屋@三条京阪,京都市東山区
  4. 揺れて歩く人々の問い Vol.81
  5. しみてつコラム「トシユキくんの家2」
  6. ご購入のご案内

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横目流し目 経営よりも安全を


去年の6月頃だったでしょうか、福井県敦賀市の敦賀原子力発電所の展示館を訪ねました。その折案内してくれた男性職員がため息混じりに言いました。「せめて2号機の再稼働が認められれば……」と。1号機は廃炉が決まり、3号機、4号機は建設準備中だと言いますが実質計画は停滞している。頼みの綱は新規規制基準下で再稼働申請中の2号機の審査合格だというわけです。
しかし原子力規制委員会の審査会合は7月26日、敦賀原発2号機は「規制基準に適合しておらず再稼働は認められない」との結論をまとめました。このニュースを聞いた時、僕は件の男性職員ががっかり肩を落とす後ろ姿を思い浮かべました。1号機の廃炉に加え3、4号機の建設は進まない。さらに隣接する日本原子力研究開発機構の新転換路ふげん、すぐ近くにある同じく高速増殖炉もんじゅは廃炉も決まり。一時は「原発銀座」と呼ばれた敦賀市から稼働する原子炉がなくなってしまうわけですから、がっかり落胆しているだろうなと。それは彼だけではなく、敦賀原発を稼働する日本原子力発電株式会社(原電)も同様でしょう。稼働する原子炉が1機も無くなるのですから。
規制委員会が不合格にした理由は次のようなものでした。原発の規制基準では「原子炉など重要な建物は将来動く可能性がある断層の上に設置してはならない」と定められていて、規制委はこれまでに2度の現地調査を通して、敷地内の断層の状況を確認してきました。その結果原子炉の北側にある断層が活断層であるかどうか、さらにこの断層が原子炉直下の断層とつながっているかどうかで、これまでの審査で規制側はいずれも「否定できない」と指摘していました。
これに対し原電は活断層ではないと動く可能性を否定していましたが科学的根拠に乏しく、さらに申請資料の資料の不備や書き換えが発覚し、経営優先、再稼働ありきの企業姿勢も露呈していました。結果として規制委は原電側の主張をことごとく否定し、最終的に「規制基準に適合しておらず、再稼働は認められない」との結論をまとめたのです。新規規制基準下で再稼働が認められなかったのはこれが初めてのケースです。しかし原電はこれに納得せず、廃炉にすることは考えてなくあくまでも再稼働の再申請を目指すとし、引き続き敷地内の断層の調査を続ける方針を示したと報道されています。
能登半島地震に目を向けてみます。M7.6という巨大地震の震源地は珠洲市でした。ところが最大震度7を観測したのは輪島市門前町と志賀町香能で、震源地からはかなり離れた場所でした。なぜこんなことが起きたかというと、今回の地震の震源域は能登半島北岸に沿うように北東ー西南方向に100kmわたって延びていて、南東に傾斜した複数の断層が連動した地震だと言われています*。震源というのはあくまでも最初に断層がずれ(動き)はじめたところです。いくつもの断層が連動してずれ、大きくずれたところが輪島市門前町と志賀町香能だったということです。
断層は連動する。能登半島地震はこのことを教えてくれています。この教訓を原電はどう受け止めるのでしょう。経営よりも安全を。原発を稼働する電力会社にいちばん求められる姿勢だと思います。みなさんはいかがでしょう。

*『地産地消文化情報誌能登「令和6年能登半島地震」特集』より

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Prof.田川の揺れる音楽道

Under the blue sky:The Noto Peninsula Earthquake ,January 1, 2024

https://www.youtube.com/watch?v=hWKx9uJb7pM
Under the blue sky
I toured the disaster-stricken areas of Noto Peninsula guided by a friend who is also a victim of the disaster. “Despite nearly seven months since the disaster, the pace of recovery and reconstruction remains frustratingly slow,” he lamented. “The biggest obstacles to recovery and reconstruction are politicians who are too fixated on frameworks and laws crafted in distant places, unable to empathize with the actual conditions and lives of the disaster-stricken areas.” He expressed how people trying to rebuild their lives on the spot feel helpless.
The epitome of this insensitivity is likely the governor of the disaster-stricken area, making callous remarks such as “low-income individuals lingering in shelters.” “They haven’t even provided enough temporary housing, yet they expect people to leave shelters. It’s outrageous,” my friend fumed. I agreed with him.
Reflecting on the photos I took, the sky above was tragically blue. Nature is always beautiful, but sometimes harsh on humans. Overcoming such harsh nature requires human wisdom. It is those who can demonstrate such wisdom whom I want to entrust with politics.
On January 1, 2024, at 4:10 PM, a magnitude 7.6 earthquake struck Suzu City in the northeastern part of the Noto Peninsula. Many homes collapsed, hillsides crumbled, and a large fire broke out in Wajima City. The southeastern part of the peninsula was hit by a tsunami, resulting in numerous casualties. The earthquake claimed 245 lives and damaged approximately 78,000 houses. A historic ground uplift of up to 4 meters occurred due to this seismic event.

The number of deaths is current as of May 8, 2024. Excluding disaster-related fatalities.

music by Fumihiko Ragawa
produce by Tetsuo Shimizu
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青い空の下で
能登の被災地を自らも被災者である友人の案内で見てまわった。「もうすぐで発災から7カ月が経つというのに、復旧・復興のテンポはなかなか上がらない」と彼は嘆いた。「復旧・復興のいちばん大きな障害は、被災地から遠く離れた場所で、机上でつくった枠組み、法制度に固執するあまり、災害が起きた現場の状況、暮らしのありのままに寄り添えない政治だ」と。その場で暮らしを再建しようという人々はどうしようもない思いに包まれているという。
その最たるものが「低所得者が避難所に滞留」などという無神経な発言をする被災地の知事なんだろうな。「必要な数の仮設住宅も揃わないのに、避難所を出てどこへ行けと言うんだ」件の友人は憤る。僕は彼に賛同する。
撮り歩いた写真を振り返る。頭上には悲しいほどに青い空がひろがっている。自然はいつも美しい。しかし、時に人間には過酷だ。過酷な自然を乗り越えることができるのはまた、人間の知恵だ。そういう知恵を発揮できる人に政治を託したい。
2024年1月1日午後4時10分、能登半島北東部の珠洲市を震源とするマグニチュード7.6の大地震が発生した。多くの家が倒壊し、裏山が崩壊し、輪島市では大規模な火災が発生し、半島東南部は津波に襲われ、多くの人々が犠牲になった。死者は245人を数え、およそ7万8000棟の住宅が被害にあった。地盤が最大で4メートルも隆起するという歴史的な地殻変動が起きた。

死者数は2024年5月8日現在。災害関連死者数を含まず

音楽 田川文彦
制作 清水哲男
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清水哲男のサンクチュアリ

篠田屋@三条京阪,京都市東山区


多分この店は、西大路九条西入るのかどやと同様、京都の大衆食堂では絶対に外せない存在だ。創業はなんと明治37年(西暦1904年)というから、今年で120年目を迎える事になる。大衆食堂でそんなにも続いている店を他に知らない。
僕は学生の頃、今から50年以上前に散々世話になっている。その頃世話になったと言えば、裏寺柳小路の居酒屋静(しずか)かここだ。静では酒、ここではめしだ。いつのことだったか、まともにめしを食う金がなくて、でも腹が減ってごはんだけを頼んだことがある。おばちゃん(その頃はまだまだ若かった)は不思議そうな顔をして「ごはんだけでええの?」と聞いてくれた。
「お金ないので……」
と答えると、「ちゃんと食べなあかんよ」と真面目な顔をして厨房に戻っていった。そうしてやや大盛の、たくあんを上に乗せたごはんが出てきた。それを頬張っているとおばちゃんが中華そばを持ってきてくれたんだ。「いや、頼んでへんし」と言うと「遠慮せんと食べよし。ほんでまたおいで」と笑顔が返ってきた。その時の中華そばの味は忘れることができない。それ以来僕はこの店を何度のぞいたことだろう。そのたびに頼むのは中華そばだ。言うまでもないがちゃんとお金を払ってだ。
この店の評判メニューはこの中華そば(600円)と皿盛(さらもり・800円)だ。軒に掲げられた看板にも「中華そば・うどん・そば・皿盛」と、この2品はこの店の人気メニューだと表明するかのように書かれている。皿盛というのは簡単にいうとカツカレーのカレーがうどん屋のカレーなのだ。出汁にカレー粉を入れ葛でといた和風のカレー餡がかかってるのだ。カレー風味だが優しい、そしてどこか懐かしい味だ。
京都に帰ると今も時々はのぞくのだが、いつ頃からだろうかおばちゃんの姿が見えなくなった。「元気にしてはりますか?」とたずねると「時々は元気にお店にも立ってますよ」と。いつか会って、懐かしい話をしたいと思った。おかげで僕は元気ですと。

最後に会ったのはいつだったか。いつまでも元気で!おばちゃん

皿盛。はじめて食べた頃は500円くらいじゃなかったかな

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揺れて歩く人々の問い vol.81

なくて七癖、あなたの癖は?


「なくて七癖」とはよく言ったもので、癖なんてないよという人にだって癖はある、つまり人は多かれ少なかれ癖を持っているという意味です。『なくて七癖、あって四十八癖』と言います。 一見して癖がなさそうな人でも七つ、癖の多そうに見える人には四十八もあるという……。そこであなたに質問です。あなたの癖を教えてください。酔ったら必ず路上で寝る、とかね。
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F.Tさん
酔うと帰ってからご飯を食う。酒抜けてくると腹減るんだよね。
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M.Fさん
集中すると何故か口が開いてしまいます。
いとこの高田漣君も、ミュージシャンとして立派に頑張ってますが、(ステージで)演奏中ええところでめちゃくちゃ口開いてて(汗)同じ癖に笑っちゃいます(笑)
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今回コメントを寄せていただいた方、ありがとうございます。詳しくはこちらをどうぞ。
https://www.facebook.com/groups/1651099238372682/posts/2943966225752637
次回82回目の問いかけは、折を見て「揺れて歩く人々の対話テーブル」にアップいたします。
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しみてつコラム
トシユキくんの家2

倒壊したトシユキくん家の納屋。1階に見えているのは2階部分だ

2度目の被災地だ。6月に訪れたときは、あまりの光景に心折れて早々に現場を離れた。逃げて帰ったようなものだと自嘲の日々が続いた。そんなことではいけないと自分をけしかけふたたび訪れることにした。トシユキくん*にそのことを話した。何しに行くんだ!興味本位で行くな!と反対されると思ったが、彼は快く案内を引き受けてくれた。「被災地の現実をしっかり見てほしい」と。
僕らは車を2台連ねて能登半島の先っぽ目指して走った。羽咋市柳田までは高速を使い、そこからは国道249号と海沿いの県道をゆっくり進んだ。トシユキくんが先導してくれる。「輪島に向かうにはまだまだ通れないところもあるし、地元の人間でないとわからんやろうしぃ」と。
僕には勘違いがあった。トシユキくんの家はすでに解体されたと思い込んでいたが、まだ何も手がつけられていない状況だった。「公費での解体は決まったけど、順番待ちやな」と彼は表情を曇らせた。「壊れたまま放置してある。うちのお袋はもう住まないと決めたから時間がかかっても解体を待っていればいいけど、そこで暮らしを再建しようという人にとっては辛いやろうな」と。
高速を降りたあたりから、屋根にブルーシートをかけた家が目立ちはじめた。傾いたり、瓦や壁が落ちたりした家も目につくようになった。志賀町に入ると家屋の壊れ方は一層激しくなった。道路もひび割れたり陥没したり、北に向かうにつれて地震の爪痕が大きく激しくなっていく。
彼の故郷輪島市門前町道下(とうげ)に入った。ほとんどの家屋が破壊されていた。目を覆いたくなるような風景がひろがっていた。小さな集落だ。「壊れた家に住んでいた人たちの顔が思い浮かぶ」トシユキくんは言った。「このあたりは今度の地震でいちばん揺れが大きかった。震度7だ。無事だった家はほとんどない」と。
その揺れの中。彼は90歳になるお母さんをおぶって表に飛び出した。家は倒壊することはなかったが大きく傾いた。傍に建っていた納屋は1階部分がペしゃんこに潰れた。お母さんが野菜を置いたり漬物をつけたりしてよく出入りする建物だった。「お袋が入ってない時でよかった」納屋を見つめながら彼はつぶやいた。隣の家は激しく倒壊していた。
「危険」と貼り紙がされたトシユキくんの家に入った。どの部屋も畳や床の上にいろんなものが散乱していた。今大きな地震がきたら僕らは押し潰されるんだろうな。そんな恐怖がちらついた。同行者が壁を指差した。カレンダーが掛けられている。それは1月のままだった。新しいカレンダーに掛け替えて、その直後から時間は止まっているのだ。
外へ出て気づいた。ここにたどり着くまで散々見てきたブルーシートだが、ここではまったくと言っていいほど見られなかった。トシユキくんにそのことをたずねた。
「屋根にブルーシートを掛けた家は、修理を待ってる家や。修理までに雨で無茶苦茶にならんようにな。けどこのあたりの家は解体を待つばかりやから、雨よけも必要ないんや」
屋根のブルーシートを眺めながら、みんな大変だなと思っていた。だけど、ブルーシートはまだまだ望みがある家の印だったんだ。そういう目で改めて道下のまちを見た。ブルーシートを掛けた屋根は見当たらなかった。
僕らはさらに輪島を目指すことにした。(つづく)

*103号しみてつコラム参照

壁のカレンダーは1月のままだった。あれから時間は止まっている

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