清水哲男さんが「揺れて歩く」という本を出版します。
ゆらりゆらりとした清水さんの歩調に合わせ、僕はその側を共に歩かせていただくことにしました。
ゆらりゆらりと揺れながら、試行錯誤で本をつくる道筋。
一緒に歩いてくださるお仲間を、ひろく募ります。
よろしければ、あなたもぜひ。
2019年8月26日 清水哲男新著「揺れて歩く」出版応援団事務局長 永山由高
※写真は一触即発の激論を交わす応援団事務局会議
ぼくが「揺れて歩く」を書いた理由(わけ)
60歳になった時、思いました。
ぼくはあとどれくらい生きられるのだろうかと。
平均的な余命は20年あまり。その間に何ができるのだろうかと。その背景には、若い頃思い描いていたような道のりを生きてきたのだろうか、生きるとはいったいどういうことなのなのだろうか、そんなことを思い続けてきた自分がいます。
そんな時父が末期の肺がんだと告知され、平均的な余命は6カ月程度だと宣告されたのです。
父は、何もせずに死を待つという道を選びました。もう、充分生きたと。
それを受けてぼくは父に残された時間すべてをつぶさに記録しようと思いました。市井の片隅で生きる無名の父です。その死への道程に、死とは何か、生きる意味とは何かが見えるのではないかと思ったのです。死に直面して、人は最後の時間をどう生きるのか。後に続くぼくにとっては、父に死に方のコツのようなものを、最後に教えてもらいたいと思ったのです。
そこには父を支えてきた母の父の死への思いはもちろん、最後になにを伝えあいたいのか、ふたりで最後の時間をどう過ごそうとしているのかを含めて、ちゃんと見ておきたい、記録しておきたいと。それを通して、死をめぐる人々のありのままの姿を普遍的に描けないか。まだまだ死は自分の問題ではないという若い世代の人たちにも、死というものを通して生きるということの意味を考えてほしいと思いました。
この本は、ぼくの両親の物語ですが、誰の親にも、誰にも訪れる物語なのです。