11年前の今日2011年3月11日東日本大震災が発生し、多くの命が失われ、今もまだ多くの人の行方が分っていません。そして今日は『いのちの日』だそうです。命の尊さを思い、命の大切さを考え、震災で学んだことを風化させることなく、災害に備えることを目的として定められたそうです。それが生かされているかどうかは、とどまることを知らない新型コロナウイルスの感染拡大をひとつの災害だと考えると …… 。この間、命を守る行動は〈自己責任〉の範疇に押し込められてきたような気もします。もちろん僕たちそれぞれの見識ある行動が求められていることは否定しませんが、じゃあ社会に対して責任を持つ政治や行政の在り方はどうなのかと考えてみると、ちょっと暗い気分になる清水哲男がお送りする揺れて歩くニュース49号です。
INDEX
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揺れて歩く人々の問い Vol.37
テーマ:あなたの「人生の野望」を教えてください。
「こんなもんじゃ終わらない!」いくつになってもそんなことに胸を沸々とさせている人は多いのじゃないでしょうか。ちなみに「野望」を辞書で引くと、
①身のほどを越えた、大きな望み。「 ― をいだく」
②望んではならない不届きな望み。非望。
などと出てきます。身の程知らず、不行き届き、なんなら分不相応、全部まとめて大いに結構! 世界をひっくり返すようなあなたの「人生の野望」、聞かせてください。
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今回もふらふらと揺れて歩く人々からコメントをいただきました。
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ないなあ。求める気持ちで大きいものといえば、国境もなく差別もなく戦争のない地球だけれど、人間は愚かすぎて。(F.Tさん)
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ひとり悶々と飲みながらだと不届きで下品でくだらない野望・願望しか浮かばないのが俺の残念なところですが、いつか誰も傷つけずに・・・(鹿児島市M.Yさん)
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『野望』女子でがっつりいだいている人は少数だと思います
なので調べてみるともうひとつ
野望するーーーと言う使い方もあるそうで
山野に出て遊宴すること。野あそび
の意味だそうです
これならば楽しめそうな気がします(京都府M.Fさん)
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詳しくはこちらからどうぞ。https://www.facebook.com/photo/?fbid=2215397535266143&set=gm.2277278955754704
コメントもぜひお寄せください。
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Prof. 田川文彦の揺れる音楽道
「Namua」
「揺れて歩く」 Soundtrack より https://soundcloud.com/yurete_aruku
「Namua」https://soundcloud.com/yurete_aruku/namua
二人で生きた思い出にすがるように果てしなく続く称名。「お父ちゃんは仏さんにならはったさかいに」と取り残された老妻は微笑んだ。
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しみてつコラム「花はどこにいった?」
2011年3月11日14時46分頃、携帯がけたたましい音を立てた。誰もが心の根っこに持っている不安を思い切り揺さぶられるようなアラーム音が鳴り、こう続いた。
「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」
僕はとっさにデスクの下に潜り込み、頭を抱え揺れを待った。しかし何事も起こらなかった。いったいどこが揺れたんだと、照れ笑いを浮かべながらテレビをつけた。すると東北が大変なことになっていると。そのあとは誰もが知っているように、東北各地を襲う津波の映像の繰り返しだった。さらには史上最悪とも言われる東京電力福島原子力発電所の事故だ。
あの日から11年。そして今日は「いのちの日」だそうだ。「震災で学んだことを風化させないために」あるいは「いつ起こるか分からない災害に備えるために」設けられたそうだ。そうして震災で犠牲となったいのちへの祈りを捧げると。
でもその11年を見ると、僕らは「いのち」を最優先に大切にする社会からは程遠い場所に来てしまったようだ。自然災害がどうのこうのと言う前に、強い者・富める者はますます強く豊かに、弱い者・貧しい者はますます弱く生きづらくなっている。
震災直後あれほど言われた「絆」は、言葉だけのうたかただったのだろうか。「花は咲く」とうたわれたけれど、いったいどこに咲いたのだろう。震災をきっかけに優しくなりかけた世界は、どこでどう間違ったのか、分断と暴力への不安にアラームが鳴り続けているように思えてならない。
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