ごあいさつ
早いですね。今年ももう半年が過ぎようとしています。時間の流れを早く感じるのは、きっと歳のせいなんでしょうね。しかも勢いよくまっすぐに流れるんじゃなくて、時によどみ、時に濁り、右往左往しながら流れています。流れの中に身を置くと、なかなか進まなくても、振り返ると早い。人生なんてこれに似たものなんでしょうね。長いけど早いけど長い……。それでは今回もよろしくお付き合いください。
INDEX
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「揺れて歩く」をご紹介いただきました
「揺れて歩く」と介護制度
中央法規出版株式会社発行の月刊誌「ケアマネージャー」7月号の新刊紹介に取り上げていただきました。
版元のエディション・エフ岡本さんによると、同誌はその誌名のとおり、ケアマネージャーのための専門誌だそうです。新刊紹介を受けての岡本さんの文章を引用させていただきます。
〈『揺れて歩く』の主人公たちは介護サービスなしには生活が成り立ちません。きめ細かいケアに助けられつつも、制度の壁にぶつかって思うようにならないことも頻繁に起こりました。利用しやすくて、存分にその恩恵に与れる、そして従事する人にも力の尽くし甲斐のある、盤石な制度になればいいのにと心底思います〉
「揺れて歩く」の著者清水もこう語ります。
〈この物語の中で、僕の両親だけではなく介護を必要とする高齢者とその家族の苦悩と苦労に満ちた現実を描きたかったし、現状の介護保険制度が抱えている問題点と矛盾をあぶり出したかった〉と。
「揺れて歩く」をお読みいただき、一緒に介護のこと福祉のことを考えてみませんか。
ご掲載いただいた中央法規出版の皆様、本当にありがとうございました。
揺れて歩くラジオ〈今日の問いかけ〉
あなたにとって読書とは?
清水「偶発的な出会いは対面だからこそやからなあ。最近我々引きこもってるからなあ」
永山「いま、偶発的な出会いを本に求めてる気がします。」
【揺れて歩くラジオ 2020年5月22日放送回より】
皆さんに質問です。
あなたにとって、本を読むというのはどういうことですか?
あなたはどんな時に、本を開きますか?
ということで、「私と、本」のお話、よろしければおすそ分けください。
いろんな返信をいただきました。ほんの一部をご紹介いたします。
正直に告白すると、読書が苦手です💦
本を読むというのは「知識を得る手段」なので、
私の場合は読むとすればビジネス書や実用本が多いです。(S.Nさん)
自分の読書の入り口は絵本です。幼稚園の頃に出会った童謡や絵本読み聞かせが収録されたレコード付きの絵本「ドレミファブック」の影響は絶大で、SF好きのきっかけになった谷川俊太郎作トラウマ作品「うちゅうせんペペペペラン」もここに収録されてました。(M.Yさん)
私にとっては、本を読むのは、息をするようなものです。(K.Tさん)
私は、現実から逃げるように小説を読みます。たいていきっかけは人からのススメで。今は「マチネの終わりに」を1年ぶり2度目読んでいて、たった1年だけど、どこにぴんと来るかが違うのがわかっておもしろいです。(Y.Kさん)
今は必要に迫られて本を読む機会が増えているように思います。レポートを書くための課題図書というイメージ。本来的には、興味の赴くままに読みたいですよね。。。
今は、必要に迫られて、行政学関係の本を集中的に読んでいます。自分が思い悩むことは、ずいぶん前に誰かが原則や法則として発見していることが多いのだなあということがわかってきて、これはこれでおもしろいです。(Y.Nさん)
こんな本の買い方もあるんだってしりました。
誰がかいたか、誰に勧められたか、本の世界の広がりと面白さが、本を売るのではなく読書をうるというスタイル……(K.Nさん)
知らない世界を知るために、感じたことのない感情を体験するために、生きる力を得るために、いつも必要でした。生きている人と物でできているこの世界と少しずれてもうひとつの世界があり、私の半分はそこを生きている感じに近かったと思います。(M.Tさん)
この続きは〈揺れて歩く人々の対話テーブル〉からどうぞ。
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しみてつコラム「ペンギンの島」
年甲斐もなく「ペンギンの島」というゲームにはまっている。
離れて暮らす長男と話をするツールとしてだ。2人でゲームアプリをつくろうと企て、考える材料にしている。彼は今33歳。5歳くらいからゲームに夢中になり、小学校に上がる頃には「将来の夢はゲームをつくる人」と口にしていた。ラグビーや音楽に夢中になったことはあったが、基本は常にゲームだった。大学も情報処理を専攻し、傍目からはゲーム制作者一直線の道を歩んでいるように思えた。
だが彼は3年生の夏、突然大学をやめた。彼は言った。
「キャラクターをどう動かすか、どんな画像をつくるかじゃなくて、キャラクターにどんな人生を描かせるか、そんなストーリーを考えたい。プレーヤーと一緒に描きあげる物語をつくりたい。それは情報処理という学問じゃないとわかった。俺自身がもっといろんな意味で成長せんと」
と。それって、紙とデジタルの違いはあるが、「俺と同じ道に進むということか」と親父は驚く。大学をやめてまでと母親は落胆し、「あなたがそそのかしたのね」と僕を責め立てた。それは誤解だと弁解しながらも、心の中ではなんとも言えない優越感を感じていたことを覚えている。しかし、と親父は思った。彼も僕と同じで大金儲けは望むべくもないなと。案の定大学中退後の彼はアルバイトで生活費を稼ぎながら悪戦苦闘を続けてきた。
いま彼はゲーム制作会社でゲームづくりのノウハウを学んでいる。そろそろ親子で何かやらかそうかと話をしはじめたところだ。親子2代で夢中になったスチーブンソンの『宝島』のような物語を2人で書いてみようかと。
小さなモニターの中をペンギンたちがよちよち歩いている。少しずつ仲間を増やし、島を大きくしていく。
人生そんなに簡単じゃない。でも一歩ずつ、少しずつ、まっすぐでなくても、回り道寄り道をしても、歩いていけたらいいじゃないか。そんなことを託すのも面白そうだなと思う。
それこそ僕が歩いてきた道だし、彼が歩もうとしている道なのだ。
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